人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

松下電器産業
人事評価 すべて点数化 技術450分類 基準明確に

2006年3月25日 日本経済新聞 朝刊 9面

記事概要

 松下電器産業は、過去、所属部署での「貢献度」と、各自がもつ「スキル」の二つの角度から社員の人事評価を行ってきた。「貢献度」についてはすでに2年前から一定程度、公平性を担保できる数値化基準の導入ができたが、交渉能力や生産現場での特殊技能といった「スキル」に対しては、数値化基準の導入が待たれていた。このほど、昨年2月に発足した専門(準備)チームによる社内450項目にのぼる「スキル」の定義作成、約2万人の社員への試験的なトライアルを成功裏に終え、この4月からの完全導入となった。「スキル人事評価」は毎年4月から5月にかけて、本人と上司との共同作業で行う。松下はこのポイント制の導入によって、(1)社員に求められる技能の種類を明確にできる、(2)社員が自分の能力をある程度客観的に把握できる、(3)不足分を強化する人材育成制度への効果的な連動ができる、(4)適材適所を実現する配置転換を促す材料としても使える、等のメリットをあげている。大手製造業でこうした人事評価を全面的にポイント化するのは珍しい試み。

文責:清水 佑三

職能のマイレージ・ポイント制がもたらす世界

 日経の当該記事を読み忘れた人のために、要点を整理して多少の補足説明を加える。次のようになろうか。

 1)(松下は)「能力」についての評価基準をより分かりやすくする必要があると判断し、自らの手で「能力」辞書を作ることに挑戦した。

 「能力」辞書の項目は、技術、モノづくり、管理、営業別に作成され、項目数合計は全社で450にのぼる。辞書作成にあたっては、(準備)専門チームのスタッフが、社員が今やっている仕事を細かく分析し、各分野で求められる技能という角度で整理して作った。

 2)評価対象者の4分の1にあたる大規模サンプルで試験的な運用を行い、この形で実施しても社員の納得が得られると判断し、実施に踏み切った。

 部長職にあたるグループマネジャーまでがこの制度の対象となる。試験的な導入期間を1年以上設けた点が特徴。「技能」「能力」等の見えないものの評価においては、部署の垣根を超えて全社での公平性を保つのは至難のワザであり、新制度を定着させるためには「やってみてよくきいてみないといけない」。

 3)「技能別評価項目」を仕事に即して細かく定義した。

 評価シートは、技術、モノづくり、管理、営業の4つの職種別に用意される。シート上には「技能」と「評価項目」が記載されている。技能と評価項目のイメージは、トリノオリンピックで一躍有名になった「レベル4」をイメージするとわかりやすい。例えば、スピンと呼ばれる技能でレベル4の評価を得るには、(1) 2つ以上難しい姿勢を入れている、(2) 4回以上姿勢変更を行っている、(3) エッジを変化させる、(4) 難度の高い新技術をいれている、のすべてにクリックされなければならない。ここでいうスピンが技能名であり、(1)〜(4)が評価項目である。こうしたやりかたを厳密にとれば前回のオリンピックで露呈した特定審判員による評価の歪みが忍び込む余地がない。選手個々人の技能レベルの差を総合点に投影できる。

 4)評価は自己申告をベースに行う。

 毎年、4月から5月にかけて、項目ごとに社員が1〜8段階で自己採点した評価シートを上司のもとに届ける。上司は自己採点がおおむね適正かどうかを判断し、必要があれば修正して8段階のどの位置かが決まる。項目別ウエイトについては記事中に明確にそれとわかるコメントがない。「各項目の8段階評価が数値に置き換えられ、その数値の合計が総合点になる」と書いてあるのみ。自己申告をベースに行い、上司が補正をする、というところがミソだろう。基準の定義が「観察可能なものであればあるほど」評価誤差は少なくなるという評価の世界における公理がある。松下が自己申告方式を評価のベースにおいたのは基準の定義(の観察可能性確保)に自信をもったからだとみる。

 5)新しい技能評価制度を、社内で「ポイント制」と名づけた。

 消費者が恩恵を受ける(累積)ポイント制は、航空会社のマイレージ・ポイントシステムなど、世界全体にあまねくゆきわたっている。社内の職能等級資格制度を維持するために、職能のマイレージ・ポイントシステムを(松下が)考案して導入したと理解するとこの記事の全体像がよくわかる。「合計点は(職能)資格が上がるための必要条件とする」の記事中の文章に新方式の狙いが埋め込まれている。背後に、「貢献度」は時と状況によるが、「技能」「技術」は獲得され、累積されて価値を生む、というモノづくり企業ならではの確固不抜の思想がある。

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 自動車産業でプラットフォームといえば、ボディ設計の基本部分である「車台」をさす。設計や生産コストを減らすためには、ひとつの「車台」からいかにうまく複数の「車種」を作りだすかがポイントになる。

 コンピュータの世界についても同じ。近年のコンピュータ文明の隆盛は、良質のOS(オペレーティングシステム)というプラットフォームを創造、共有できたことによっている。

 まったく同じことが社員の「能力」の保有と発揮の個人差評価という世界においてもいえる。自社において、どういう評価のプラットフォームを考案できるかで、評価のコストとリターンが大きく異なってくる。よいプラットフォームづくりが会社発展の鍵なのである。

 松下電器産業における、「スキル」の450分類、自己申告・上司補正による評価制度の導入は、評価制度という面妖な世界でのプラットフォームのコペルニクス的回転の試みと筆者はみる。

 職務遂行上、必要なことができていれば、それに応じてポイントをあげましょう、自己申告でやってくれ、ポイントを累積させてくれ、という単純明快な考え方がよい。

 「必要なこと」の記述がかりに適切にできれば、従来の能力評価法の弱点を補うことができる。

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 筆者が勤務する(英)エス・エイチ・エルグループでは、1977年の創業時から、この評価におけるOS的なものの重要性に注目し、Work Profiling System(WPS)という汎用の評価プラットフォームを開発してきた。複数言語で入出力できる(評価用)ツールを、おもにイギリスをはじめ、多くの国のエス・エイチ・エルの拠点で多国籍顧客に提供してきた。

 スタート時点のスキル数は800以上あったが、顧客での実施事例が豊富になるにしたがって、整理統合されて、最新版では300余の項目数となっている。

 ここで詳しくツール紹介をするつもりはないが、ツール開発の設計思想は、松下電器産業の試みとまったく同じといってよい。要は、求められる「技能」「技術」の使いやすい辞書づくりにある。

 会社の経営資産は無限にあるが、継続して勤務する個々の社員の「技能」「技術」のタイプとレベルの幅と網羅性が、未来の発展性を規定することは間違いない。そこに「意欲」が点火されればよい。その部分は経営の仕事である。

 どんなに戦略が優れていてもそれを実行できる人(の技術と意欲)がなかったら、絵に描いたモチになるからである。

 エス・エイチ・エルがもつ「スキル」辞書“WPS”は優れた商品だと自負するが、過去(紹介しても)使ってくれるところが日本ではあらわれなかった。我々の営業下手のせいもあろう。

 筆者にとって、今回の松下電器のチャレンジを紹介したこの記事は、友あり遠方より来る、また楽しからずや、のしみじみとした感慨となった。

 チャレンジの成功を祈念してやまない。

コメンテータ:清水 佑三