人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

東濃信用金庫が休日に
部店長ら、幕末の儒学者に学ぶ

2006年3月10日 ニッキン 朝刊 18面

記事概要

 東濃信用金庫は、2月18日(土曜)、第32回ホリデーセミナーとして、幕末の儒者、佐藤一斎を取り上げ、(一斎)研究者である「いわむら一斎塾」の鈴木隆一氏を招いて、管理職対象の講演会を行った。演題は『重職心得 佐藤一斎に学ぶ』。隔月に1回の割合で開かれるこのセミナーでは、職層にあわせ、コンプライアンスなどその時々の旬のテーマを選んで勉強する。今回は「役席者としての心構えが重要である」として、郷土(岐阜県恵那市)が生んだ偉人、佐藤一斎の生涯と思想をとりあげた。役員、部課長ら160人が参加し、鈴木隆一氏の話に熱心に聞き入った。

文責:清水 佑三

今、旬のテーマ・人は「硫黄島総指揮官、栗林忠道」である

 ニッキンは金融の専門紙で、金融業界の人を除けば目にする機会が少ない。日本金融通信社が発行する金融業界対象の日刊紙である。前にもこの欄で何回か取り上げた。見出しになっている幕末の儒学者、佐藤一斎については過去に取り上げた記憶がある。

 小さな何気ない記事であるが『重職心得、佐藤一斎に学ぶ』というタイトルに刺激を受けた。「重職」の心得とは何をいうのだろうか、この問題について、旬のテーマ・人は佐藤一斎だろうか、もっと違う人がいるのではないか。

 結論を言おう。筆者の考えでは、今、重職の心得、というテーマにもっとも相応しいのは、太平洋戦争中、最大の激戦地となった硫黄島守備隊長、陸軍大将、栗林忠道氏の思想と行動だと思う。その語り部を勉強会に呼ぶことだ。

 『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー賞監督となったクリント・イーストウッドが新しい作品として企画している「硫黄島からの手紙」は、日米両国でヒットするだろう。その時点で栗林忠道は確実に世間の耳目を集めるに違いない。先手をとったほうがよい。しかも、ハリウッド発だ。勉強に特有な辛気臭さから逃れられる。

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 先の大戦において、敗北の中でキラリと光る事跡を残した名将は少なくない。優れたノンフィクション・ライターが心血を注いだ「名著」によって、名将の軌跡が文章に刻まれ永く栄誉として残る。意識されない教本となる。

 2005年8月に新潮社から書き下ろしで出版された梯久美子の『散るぞ悲しき』はまさにその名著の名に値いする。

 もう一つ同格の本をあげれば、ペリリュー島攻防を描いた児島襄『天皇の島』である。

 中川州男陸軍大佐が率いる(水戸)第14師団第2連隊主力の1万5百の兵を中川がどのように指揮したか、児島襄はスローモーションカメラで捉えるようにつぶさに描いている。74日もちこたえたペリリュー守備隊に天皇が送った嘉賞は実に11にのぼった。稀有のことだ。

 ペリリュー島、硫黄島の両戦闘において、圧倒的な兵員、装備の彼我差があったなかで、日米の兵員の損傷比較をしたときに、米が日の損害を上回った事実に注目したい。日本陸軍の二人の名将の評価は、日本よりもアメリカにおいて高い。

 守備隊を指揮した中川州男、栗林忠道が何を考え、どう行動したのか、ペリリュー島1万余、硫黄島2万余の兵はなぜ、より楽な「死」を選ばず、指揮官の命令に最後の最後まで従ったのか。尽きせぬ興味がある。

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 平成6年2月、(今上)天皇は初めて硫黄島の土を踏んだ。父、裕仁が4回、嘉賞を与えた兵たちが眠る島で万感の思いで詠んだ御製。

 精魂を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき

 これを返しの歌、とすれば、贈歌は、栗林忠道の次の辞世となろう。

 国の為重きつとめを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき

 栗林忠道の辞世と天皇の御製とにふれて、梯久美子は『散るぞ悲しき』のエピローグに次のように書いている。

…この御製は、訣別電報に添えられた栗林の辞世と同じ「悲しき」という語で結ばれている。大本営が「散るぞ悲しき」を「散るぞ口惜(くや)しき」に改変したあの歌である。(悲しきと結んだのは)決して偶然ではあるまい。49年の歳月を超え、新しい時代の天皇は栗林の絶唱を受け止めたのである。死んでいく兵士たちを、栗林が「悲しき」と詠った。その同じ硫黄島で。

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 国の為重きつとめを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき

 栗林辞世を再出する。この歌にある「重きつとめ」という言葉に注目されたい。

 この島は何が何でも守り抜かねばならぬ、この「重きつとめの自覚」があったがゆえに、大本営が見捨てた島の守備にこれ以上ない精魂を込めて栗林は戦ったのだ。

 栗林の思いを彼の行動の端々から体で理解した兵士達は彼の過酷な指揮に最後の最後まで従った。

 硫黄島が落ちた場合の惨禍を彼は正確に冷静に見抜いていた。硫黄島を浮沈空母とする米軍機の本土猛空襲の地獄絵の現出である。愛する末娘たか子のためにも、何としてもそれだけは食い止めたい。この認識を彼は慎重に大胆に行動に移した。「重職の心得」でなくて何であろうか。

 また、死んでいくことを粛々と受け入れている兵士たちへの万感の思いがつねに栗林の思考の中心にあった。

 2万余の兵が栗林を慕ったのはその思いが一人ひとりの兵によく通じたからだ。わずかな水を階級に関係なく平等に分かちあえと口をすっぱくして言い言いし、自ら実践した栗林の人となりを兵はよく理解し慕った。

 兵と将の間の感情の交換、交流。見本のような物語である。クリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」はすでに話題になりはじめている。

 今、会社が管理職層にある人たちに、「重職にある者の心構え」についてメッセージを送りたいのであれば、旬のテーマは語り部としての梯久美子であり、神話の主としての栗林忠道である。

コメンテータ:清水 佑三