人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

会社の金言=伊藤園
「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら慎む」直販体制で成長続く秘訣

2005年11月14日 日本経済新聞 朝刊 11面

記事概要

 伊藤園は清涼飲料メーカーとしては珍しい販売代理店を通さない直販体制をとる。今回とりあげた金言「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら慎む」は故・本庄正則伊藤園創業者が座右の銘にしていた江戸期の儒者、佐藤一斎の言葉。人に対しては穏やかに接し、自分に対しては厳しく対峙せよ、の意味がある。伊藤園では10年前から、創業者が愛したこの言葉を管理職五訓の一つとして採用し、従業員手帳にも載せている。同社の主力商品である「おーいお茶」は緑茶戦争と呼ばれるほど激烈を極めた05年にあっても数量ベースで前年比2ケタ増記録を更新しつづけている。創業者が自らに課した「春風」精神が、社是化されて以後、10年の間に管理職から営業前線担当者に浸透し緑茶戦争での勝利につながっているのかもしれない。

文責:清水 佑三

伊藤園にみる社是の効用

 いきなりで恐縮であるが、かりにサントリーと伊藤園が大合併劇を演じるとしよう。誕生した会社は新しい統一的な社是づくりの課題を背負う。

 「やってみなはれ」と「春風を以て…」のいわんとするところをうまく結晶させて一つの言葉にする作業はいかに優秀な両社の参謀でも手に余るだろう。

 合併劇は、確実に「立志」の精神を希薄にする。そのことをまず指摘しておきたい。

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(本庄正則氏)

 伊藤園創業者本庄正則氏の面白さは(矛盾するはずの)「合理主義」と「義理人情」が高い純度で渾然一体になったあたりにあると思う。例をあげておく。

 伊藤園レディスのジェネラルプロデューサーを任された戸張捷氏が「地域に密着したトーナメントづくり」の考えを本庄氏に説明した場面でのこと。

 本庄正則氏は、その提言に対してただ「君はその辺のことに関してプロなのだから、すべて君に任せるよ」とだけいった。

 戸張捷氏は「私は任せられることで力を発揮するタイプ。本庄会長の人心を扱う手腕を実感した」という意味のコメントを(本庄逝去の報に接し)伊藤園に寄せている。(同社ホームページ)

 本庄コメントを単純に人心掌握のスキルとみてはいけない。

 「君は一流のプロなのだ、自分は君に賭けた。信頼している。あとは君に任せる」は、実は諸刃の剣なのである。万が一不良の品を優良といって届けたらどうなるか。

 本庄発言において「合理性(対価に見合う債務の自覚)」と「義理と人情(完全に任せてくれた人に報いたい)」が強い緊張関係のもとで求められていることに注意すべきだ。

 合理性と人情の相克をつねにブレンドして人に届ける秘術なようなものを、本庄氏は人生のどこかで体得した。ゴルフでいえば開眼したようなものか。

 佐藤一斎の言葉はそのあたりの機微の「可視化」である。視点をそこに移そう。

(佐藤一斎)

 小泉純一郎は揮毫によく佐藤一斎の言葉を使う。小泉メルマガ「らいおんはーと」の28号にも佐藤一斎の『言志晩録』「老いて学べば死して朽ちず」が登場したことがあった。

 筆者がある時期仕えた堀内義男さん(旺文社→文化放送ブレーン→ディスコメーリングシステム)も小泉純一郎が引いた部分を文化放送ブレーンの社長をされていた時期、年頭所感などでよく引用された。

 西郷隆盛も佐藤一斎のファンだったという。西郷で思い出す名文がある。福沢諭吉が『丁丑公論』末尾に書いた以下の文章だ。

 過去に功績のあった大人物の追い落としを考えている人間はすべからくこの文章を読むべし。人事の要諦が見事な彫刻となっている。

…西郷は天下の人物なり。日本狭しと雖も、国法厳なりと雖も、あに一人を容るるに余地なからんや。日本は一日の日本に非ず。国法は万代の国法に非ず。他日、この人物を用いるの時あるべきなり。惜しむべし。惜しむべし。(『福沢諭吉選集 第12巻』岩波書店 第1刷236ページ)

 佐藤一斎の言葉がもつパワーの秘密は何か。何ゆえに大人物がこぞって座右の銘にもつのか。

(「春風接人」「秋霜自粛」の具体的な効用)

 「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら慎む」は、普通、(仮に相手がどんなよくないことをしたとしても)温かい態度で人には接し、(仮に自分がどんなによいことをしたとしても)厳しい態度で自分に接しなさい、という含意で説明される。人には太陽、自分には北風、という新イソップ物語とみてよい。

 伊藤園の製品のルートセールスを仕事としている人たちが、この言葉の意味を日々教えられて耳に胼胝(たこ)ができる状態になっていると仮定しよう。

 ルートセールスの対象は清涼飲料水の量販店、小売り店、自販機地主たちであろう。多くの相手がいれば、中にはいわゆるパーソナリティ障害と分類するしか手がないような「ハチャメチャないいがかり」をいってくる人もあろう。

 そういう場面で「春風接人」の教えが忽然と目の前をよぎる。そうか、こういうときほど大事なのだ。腹をたてないで笑顔をつくろう。機嫌がなおるまでじっと待っていよう。

 パーソナリティ障害と分類するしか手がないような人は、相手を選ばない。A社にもB社にも均等に異常さを発揮する。合理性のないクレームをつける。伊藤園以外の担当者はしり込みして自然と足が遠のく。結果として一人勝ちとなる。

 秋霜を以て、でいえば、仮にあるルートセールスマンがある年の目標達成ができたとする。普通ならハッピーエンドで終わるが、「秋霜自粛」の教えがあるとそれでは終わらない。

 自分の今の成績を実力による部分とそうでない部分に分けてみてゆこう。あの店と、あの店は前の担当者が開拓したもので自分の実力でプラスしたものではない。実際に自分の努力によって得られた数字は前年同期と比べるとむしろ減っている。この部分を増やさない限り、目標達成とはいえない。

 かくて、イチローや松井秀喜のようなさらに高いものをめざす努力の日々が始まる。伊藤園の特徴は代理店制度をとらないことだ。自分の会社の社員であるから、「春風接人、秋霜自粛」を日々、声を嗄らして叩き込める。

 かくて顧客のよい評判が作られてゆく。

…伊藤園の人はほんとに笑顔で感じがよい。こちらが不機嫌でヘンなことをいっても決していやな顔をしないし、マメで誠実な対応をしてくれている。あの人がうちの担当でいる限り、伊藤園さんびいきはやめません。

…あそこまで、うちのはほんとにおいしいお茶なんです、試してくださいといいつづけられたら試さないとバチがあたるとおもっちゃう。飲んだら、これがほんとにおいしいの。それにうちの孫が伊藤園の俳句で賞をもらっちゃって、缶に載っているんだもの。扱わなかったら孫に申し訳がたたないの。

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 ある機関が社是、社訓の内容を分類して、人気のあるコンセプトは何かについてどこかに発表したことがあった。うろ覚えで恐縮であるが、一位に「社会との共生」が来て「顧客志向」が次に来ていた。

 こういう官僚の作文のような社是・社訓は増収増益の内部努力を習慣化する効用はない。むしろ、本庄正則氏が自らのために書きとめておいた佐藤一斎の言葉のほうが「コトダマ」の力をもつ。

 美辞の社是とはまったく違う本庄ワールドについて日ごろ思うところを書いてみた。

コメンテータ:清水 佑三