人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
東京都庁
都職員 昇任試験にソッポ 管理職枯渇? 「出世したくない」
2005年4月10日 読売新聞 朝刊 35面
記事概要
東京都の現行管理職試験制度は、1973年(美濃部亮吉知事時代)にスタートした。東大卒でも高校卒でも出世階段を上る上で、同じスタートラインに立てるのが特徴。この制度ゆえに高校卒で水道メーター検針員として都庁に入り、副知事にまで上りつめた職員も出た。一時期(74年度)1万人を超えた受験者数は、以後急激に減りつづけ、ついに04年度受験者数は1440人まで落ち込んだ。職員数が30年の間にほぼ2割減ったという事実もあるが、最近は、5年連続で最低数記録を更新しつづけている。その理由をさぐるために実施された職員の意識調査で、回答者の半数以上が「管理職に魅力を感じない」と答えた。局長の1人は「若手は出世よりも特定の仕事のプロになりたいと思うのかも」と話す。これまで一度も試験を受けた経験のない35歳の男性職員は「共働きで3歳の子供がいる。子育てに自分も忙しい。受験勉強が大変なので受験する決心がつかない」と胸の内を明かした。
文責:清水 佑三
HRプロならこう読む!
割が悪い仕事に好んでつくバカはいない
コメンテータ:清水 佑三
拙著『上司は不器用でちょうどよい』(1998年、PHP研究所)の「はじめに」にこんなことを書いた。
…「上司受難の時代」は、いつの頃からか自分の中に自然に宿った感慨に近いものです。今の時代にあって、前後左右、どこからみても割が合わないのが、上司(管理職)といわれる商売、稼業だと思う。
… 昔は、それなりに何かがあった気がします。かなりの給料を貰い、それらしい顔をして上司風を吹かせることを周囲が許してくれた。世間全体が尊敬してくれた ということもあります。お正月になると、部下が挨拶に来る。引越しの時は部下たちが自分から手伝ってくれた。中元、歳暮の時期になると、お世話になりまし たといって付け届けがくる。結婚披露宴では、ひとこと挨拶を、と頼まれる。雰囲気として部下をもつ、というのはいい気分だった。
…今の若い人で、中元、歳暮に上司にものを贈る人はどれくらいいるだろうか。正月に上司の自宅に年賀にゆく人はどれだけいるでしょうか。おそらく皆無に近いのではないかと思います。結婚披露宴で、上司に仲人、主賓の挨拶をお願いする習慣も、そろそろ終わりに近いでしょう。
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記事に戻ろう。記事には「都の管理職選考試験の受験者数の推移」というグラフが添えられている。折れ線グラフの形状は、制度がスタートした1973年度から2004年度まで、まさに崖っぷちを駆け降りるくらいに急峻なカーブを描いている。
まさに、記事中の記述のとおり、制度をあらためない限り、団塊の世代が大量退職する2007年度以降、管理職が払底する事態が予測される。
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さて、古いことであるが、東京都の管理職試験制度について専門家の目からみて指摘がほしい、と頼まれたことがあった。10年あまり前のことだ。過去に出題 された試験問題の冊子集を(ごっそり)もちこまれ、「受験者数が減っている。試験問題を改めたい。どこに問題があるかご指摘を」が都庁側から筆者への注文 だった。
細かいことは忘れたが、次のようなアドバイスをした記憶がある。
それならどうすればよいのか、という諮問には次のように提言した。
提言の根拠は、オーストラリアで行っている「自治体上級職員のアセスメント」にあった。それを下敷きにして鑑定、立論した。
オーストラリアの自治体上級職員は、知事、市長などと同様、公募公選制で選ばれる。そのアセスメント制度の設計および施行管理を手伝っていたエス・エイ チ・エルオーストラリアには、自治体管理職者の選別法について、かなりの経験と知識の蓄積があった。それを参考にした提言であった。
あまりに現行システムとの距離が大きいということで、提言は採択されず、具体的なお手伝いをするまでにはいかなかった。
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記事中、抜本的な改革案に対して、次のような人事担当者の声が語られている。いずれも10年あまり前の(筆者の)提言に対するリアクションと重なっている。
その結果は、「管理職枯渇」「判断の停滞」「市民サービスの劣化」などの納税者へのつけまわし現象の継続だろう。
どこまで続くぬかるみぞ…、というはるか昔の軍歌の一節が思い浮かぶ。