人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
伊藤忠商事
派遣社員を自社研修 グループ内派遣会社と 法令遵守など強化
2005年8月3日 日経流通新聞MJ(日経テレコン21) 朝刊 15面
記事概要
伊藤忠商事では2005年8月下旬から、派遣社員を対象に、機密情報や個人情報の取り扱い、法令遵守強化のための指導等の研修を行う。東京本社に勤務する200人が対象。指導には人材供給元のグループ会社キャプランのスタッフのほか、伊藤忠商事コンプライアンス室、人事部の研修本部の社員があたる。かつて一般事務職の正社員が行っていた業務を派遣社員が担当することが多くなり、派遣社員も社員と同等の機密情報や個人情報を取り扱う機会が増えたことによる措置。50人づつの派遣社員を集め、2時間半の集合研修を行う予定。
文責:清水 佑三
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伊藤忠の凄さは丹羽宇一郎の登用にある
コメンテータ:清水 佑三
ラジオは筆者の数少ない情報源である。(自分の)講演で話している挿話の淵源をたどると、大体がラジオで小耳に挟んだ話が多い。それを引き出しに入れておいて、思い出すまま話している。いつどこで聞いたのといわれてもそこまでは覚えていない。
中国の奥地で頭に角が生えてきた人がいる、鹿の角のように、折っても折っても生えてくる、という話をラジオで聞いた。人にいっても信じない。夢を見たのよで終り。一度聞いたら忘れられない話は意外とラジオ媒体に多い。
最近、伊藤忠商事の丹羽宇一郎さんの本『人は仕事で磨かれる』(文藝春秋)の朗読をラジオで聞いて感銘を受けた。今年の5月だったと思う。平日午前中の「きょうも元気でわくわくラジオ」というNHK第1放送の枠にある『私の本棚』に丹羽さんの著書が登場した。
この番組の朗読はアナウンサーだけと限らない。名のある俳優が登場することもある。丹羽さんの本の読み手が誰だったかは忘れた。10回シリーズで朗読されたうちの、最初の何回かを偶然、耳にしてこれはおもしろいと思った。
記憶にあるまま紹介しよう。本の原文とはずいぶん違うだろう。
― 世間の人が自分をちやほやするのは丹羽宇一郎が偉いからではない。伊藤忠商事の社長、という肩書きゆえである。自分が偉いと錯覚していると社長を辞めた後 がみじめになる。どんな人だって社長を辞めたらタダのオジサンだ。格好つけたってしょうがない。社長を辞めたときに備えて社長である今のうちからタダのお じさんでいようと思っている。
―自分が乗っている車はカローラだ。どうしてそんな車に乗っているのか といろんな人から言われる。大会社の社長が乗る車ではないというのだろう。失礼な話だ。まったく余計なお世話だ。社長がカローラに乗ってはいけない理屈が あるのか。そんなにピカピカな車がいいんだったら、車体に金粉ふりかけたらどうなんだ。
―地下鉄通勤 もとやかくいわれる。確かに満員電車で突っつかれたり、雨傘で冷たい思いをするのは誰だって嫌だ。不愉快です。ただ、社員はみんなその満員電車に揺られて 通勤しているんだ。黒塗りの車で送り迎えなんて生活を毎日していたら、気がつかないうちに、世間の常識からも社員の目線からも離れていってしまうではない か。そっちの方がよっぽど怖い。
―社長を6年やったら辞めるといってきた。ほんとかな、と疑いの目で みる人がいる。辞めても会長になって院政を敷くのではないかという。辞めると言ったら辞める。院政なんか敷かない。会長だって1年で辞める。辞めるといっ たら辞める。辞めてもっとおもしろい生活をする。そういっても信じないんだよなあ。社長とか会長の椅子だけが人生じゃないよ。
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丹羽さんは60年安保闘争の学生運動の闘士の1人だ。私がお世話になった(日経)ディスコ社の加藤宏さんなどと同じような激しい若き日の時間をもつ。正義 感が強いゆえだ。昭和62年に名古屋大学法学部を卒業して伊藤忠商事にはいり、油脂部に配属された。以後、食料畑を歩み、平成10年に社長に就任した。
コンプライアンス(法令遵守)は、生きる形に関する美意識または意志の種類をいう。法令があるからそれを遵守するのではない。法令があろうとなかろうと、人に眉を顰めさせるような行動をとりたくない、という強い(正義)意識のありようをいう。
丹羽さんは社長になって、誰の目にも見えるが誰も見えるといわない「まがまがしき精神が産んだ負の財産」を一気に償却した。この精神をコンプライアンスといってよい。4000億円の負債の償却にはすごい勇気がいる。不正義に対する強い怒りがない限りできない。
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総合商社の仕事はかつての口銭(さやどり)型ビジネスからダイナミックに変質している。事業投資型ビジネスに向かっているといっていい。事業投資型というと聞こえはいいが、ホリエモンの世界である。「コンプライアンス」と「勝てば官軍」との境目が不透明だ。
物産の廃ガス装置データ捏造事件にしても、環境対応という新しいビジネスへの参入競争下で起こっている。新しい市場ゆえに先陣争いが熾烈を極めているの だ。口銭どりのビジネスでは起こりえない不祥事である。そこだけを取り上げると個人のバカな振る舞いにみえるがそうではない。
それゆえに、伊藤忠商事はコンプライアンスの領域での「派遣社員の強化」に乗り出した、と読むべきだ。
丹羽魂ともいうべき「正しいことを正しくやれば結果はついてくる」を派遣社員に至るすみずみまで植え付ける道は遠く険しいだろう。しかし、千里の道は一歩からだ。
よい記事を読ませてもらった。記事の紙背に丹羽さんの顔が浮かんだ。