続・人事部長からの質問

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2008/10/31 106

「○○語を話せる」と考えるレベルが外国人にとっての日本語と日本人の外国語では違う気がします。何故このような違いが生まれるのでしょうか?また、実際「話せる」といえるのはどの程度のレベルにあればそういえるのでしょうか?

筆者が夫の海外駐在に帯同してイギリスに4年間暮らした時、1年ほど現地の英語学校に通いました。ヨーロッパやアジア、南米など様々な国の人が一緒に教室で学んだのですが、それぞれのお国柄が出て大変興味深かったです。教室で一番うるさかったのが南米やスペインなどラテン系の生徒。先生が問いかけを振らないうちから口々に自分の考え(というよりも「思いつき」?)を大きな声で発します。日本人や韓国人はまじめ。単語や文法がよくわかっている人でも、先生に指されると(私も含めて)真っ赤になって口ごもってしまいがちでした。

背景には外国語教育方法の違いがまず考えられます。「聞く・話す」に重点を置く諸国と、「読む・書く」に重点を置く日本の違いです。また、環境や歴史の影響はかなり大きいでしょう。日本は島国で、多くの人々は日常生活の中で自然に外国人と接する機会はまだまだ少ない。陸続きのヨーロッパ大陸とは違いますし、侵略された経験のある南米とも違います。「場慣れ」は大きいと思います。さらに国民性が関わってきそうです。「以心伝心」は日本の美学で、他国には通じないのでは?

「○○語を話せる」と一口にいってもその内容は、挨拶から、旅行でのやりとり、日常生活で隣人や友人としての気楽な会話、ビジネスでの交渉、通訳ができるまで様々です。言葉は手段ですから、その言葉を使って「目的を達せられること」=「話せる」だと思います。英語検定や日本語検定の各級の定義を見ると具体的に記述されています。要は「目的」です。私たちが小さな子供と会話する時、片言しか話せなくともなんとか意思疎通できているようだと、その子のことを「日本語を話せない」とは思いませんよね。その言葉で「話そうとしている」状態で、私たちはもっと「私ね、○○語を少し話せるんだ、幼稚園レベルだけど」と公言してもいいと思います。そうすればもっと上達するチャンスが向こうからやってくるでしょう。

文責:堀 博美

タレントマネジメ
ントコラム 日本エス・エイチ・エルの人事コンサルタントの視点

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